知られることを欲すること
今日では、人間存在が吹けば飛ぶような、軽くてもろい存在と化しているために、なおのことおのれの存在に神経過敏になるのです。
そういう社会の気風が、「ありがとうの心掛け」といったキャンペーンを生むことにもなります。
格別お世話にならなくても、「ありがとう」。
園児・児童の「ありがとう」は、おとなから強制されたもので、全く形骸化していますが、その根底には、おとなの世界の現実、すなわち「ありがとう」の一言が、「あなたの存在を無視していませんよ」というシグナルになるという現実があります。
ちなみに、「知られ」願望があれば「知らせ」願望、というよりももっと強く「知らせ」意志といったものもあります。
これは「おのれの存在を無視されて怒る」というのと同根のものですが、もっと積極的に「おのれの存在を押しつける」という形をとります。
そうなると、まさに権力の問題です。
「女の時代」に入って、女性にもこの手合いがふえてきました。
「おのれの存在が知られるのを待つ」という受動的な存在証明のかたちと、「おのれの存在を無理やり知らせる」という能動的な存在証明のかたちと。
両者相補的に今日的な問題複合をなしています。