「知られること」の認識論
商品は、本質的に社会的な存在性格をもつべきもので、何はともあれ他人に知られることなしには商品として失格です。
商品経済の満面開花状況は商品の存在論について考える恰好の地盤を与え、ひいては今日の人間状況を考え直す手がかりを与えてくれます。
歴史汎通的なことがらが特殊歴史的な事象を媒介にして捉え返されるわけです。
哲学の世界では古来「知ること」や「在ること」、ないし両者の関連については、認識論とか存在論とかの名のもとに種々論ぜられてきました。
「他者に知られること」が主題的に論ぜられたということは寡聞にして知りません。
知の対象も対象の側からいえば知られることなしには存在しない、というたぐいの論議はいくらでもありますが、それはしかし存在論レベルの問題であって、人間の社会的存在条件を問うというもっと具体的な世界の話とは異質です。
知ることと在ることとの密接な結びつきを本格的に考察した哲学者として、手近なところではすぐさまへーゲルの名が思い浮かびますが、しかしそこでも主題はやはり「知ること」にあり、「知られることの意味」については十分な考察が及んでいるとはいえません。